みなさんはじめまして!社畜生しろくまと申します!
社畜から脱却すべく日々精進を繰り返しています!
社畜卒業に向け、ブログにチャレンジしようと決意し、このブログを立ち上げました!
ただ自己紹介ってだけでも面白くないので、大手メーカーからSESに転職した話をメインに、転職を考えている人にとって、その決断を後押しする1つのエピソードを提供できればと思います。
それでは早速!
生い立ちについて
あらためまして、はじめまして。
私は「社畜生(しゃちくしょう)しろくま」という名前で活動しています!
鹿児島で産まれ、半生のほとんどを九州で過ごしています。
ざっくりとした学歴は以下の通り
- 鹿児島高専:電気電子工学科
- 九州工業大学:電気電子工学科
- 九州工業大学:生命体工学研究科
もともとは電気電子を専門としていたのですが、今の専門は電気ではありません!
じゃあ何か?
ぼくもわかりません、、絶賛迷走中です!
新卒で大手メーカーに入社した話
九州工業大学を卒業後は、大手の半導体製造装置メーカーに拾っていただき、ソフト技術部で働いておりました。
実務内容はというと、
開発業務に関わることは一切なく、協力企業の派遣従業員の方々をとりまとめながら、受注した案件の納期調整や折衝業務ばかり。FE(フィールドエンジニア)とEM(エンジニアマネージャー)を行ったり来たりする。プレイングマネージャーでした!
当然といえば当然ですね!だってソフトを専門に学んできた人間ではない訳ですから!
根性の社畜ワーカーになった訳
プレイングマネージャーと聞くと、「すごい!」と思われるかもしれません。
しかし、実態はただの社畜でした。時間管理の「ジ」の字も知らずただ闇雲にがんばり、月残業が100hを超えることも珍しくありませんでした。
なぜか?
原因は大きく3つありました。
間髪入れず入り込むトラブル
半導体製造装置の取引相手は基本的に海外が多く、私の担当した顧客もアメリカやヨーロッパなど、世界各地に生産拠点を持っていました。
海外のお客様を相手にする場合、絶対に避けて通れない難題が1つあります。
それは、、、
時差とカレンダーの違い
アメリカとヨーロッパを同時に相手にするということは、きっかり8時間おきにそれぞれのコアタイムがずれることになります。
そうすると、
- 朝 :出勤直後にアメリカからのトラブル報告を受ける。
- 昼 :本来の業務に取り掛かる。
- 夜 :帰宅直前にヨーロッパからのトラブルを報告を受ける。
- 深夜:アメリカからトラブルの連絡を受ける。
といった事態になることも珍しくありません。
カレンダーが違うというのも問題でした。
日本企業は大抵の場合、顧客とのカレンダーの違いを理由に、出勤シフトを自由に組み替えることは許されません。
たとえ日本が休日でも、顧客が稼働していれば普通に呼び出されますし、逆に顧客が休みであっても日本が稼働していれば休みを取ることは難しくなります。
僕の場合は、GWやクリスマスは半分取れたかどうか、、といったところでした、、
人材の不足
大手の企業になればなるほど、実務のほとんどを外注しています。
この選択自体は間違った判断ではありません。
しかし考えなければならないのは、その対応が一時的なものか?恒久的なものか?という視点です。
これを考えずに外注にばかり頼ると、一時的な対応が、恒久的に続くことになるのです。
僕の場合は、この状態が末期まで発展し、もはやなぜその業務をしているのか誰も把握しておらず、誰も把握していないから無くしたときにどんな影響が出るか全くわからないため改善しようにも簡単には手がだせない状態になっていました。
圧倒的なコミュニケーション不足
とにかく各部署間の仲が悪く、システム開発・ハード開発・ソフト開発・現場・調達部隊すべてがバラバラに動いていました。製造フローは基本的にウォーターフォール型の開発だったのですが、必要な情報が必要なタイミングで出てこないことは日常でしたし、なんならお互いにどんな情報を欲しているのか把握していない状態でした。
そうすると、作業に取り掛かった瞬間に情報が足りていないことがわかり、早急に情報を出してもらうよう催促するという無駄なSTOPワークが増え、催促すればするほどお互いの関係は険悪になり、協力体制が気づけないまま納期だけが迫ってくる。
という地獄が広がっていきました。
それでも頑張ったのはなぜか?
はっきり言って環境は最悪でしたが、とにかく人に恵まれていたのだと思います。
がむしゃらに頑張っているうちに少しづつ協力してくれる人も増え、その支援に応えるためにさらに頑張る。そうすることで、さらに強力してくれる人が増えていく。
そんな循環を繰り返すうちに、業務量は相変わらずでも貢献できることはどんどん増えていき、楽しんで仕事ができるようになっていきました。
なので、当時は残業が100hあってもそこまで辛いと感じていないことも多かったです。(感覚がマヒしていたのかもしれませんが、、、笑)
ではなぜ辞めたのか?
がむしゃらに毎日を過ごしている日々でしたが、あるとき自分にとってすごく大きな事件がありました。
祖母の死と叔父の死です。
祖母は数年前から末期のガンが見つかっており、死自体はある程度覚悟をしていました。
入院生活も長期化し、いよいよもう長くはないというタイミングで親戚一同がかわるがわるにお見舞いに行く中、僕は仕事でほとんど顔を出すことができませんでした。
少ない時間の中でも、少しでも祖母の希望を聞いてあげようと「何かしてほしいことはないか?」と尋ねたとき、返ってきた言葉は、ただ「家に帰りたい」でした。
この言葉に僕はハッとしました。
僕にとっての家とは、「ただお風呂に入って寝るだけ」の空間だったからです。
痛むからだを押してまで「帰りたい」と思える家を持ってなかったのです。
祖母が家に帰れたのは、冷たくなってからでした。それでも息を引き取る前はほとんどの親族が集まり、皆に見守られながら旅立っていく姿は幸せだったのではないかと感じ、うらやましいとまで思ってしまいました。
今の僕の姿が、祖母のような未来につながっているとは到底思えなかったからです。
叔父の死はその数ヶ月後でした。
叔父は祖母の死を飲み込み切れないまま、仕事に追われ大きなミスを犯しました。そのミスは決して叔父の責任ではありませんでしたが、思い悩んだ叔父は自ら命を手放しました。
今の僕の未来は、祖母よりも叔父に近い気がしてなりませんでした。
ここにきてようやく今の働き方に疑問を持つようになりました。(めちゃめちゃ遅いですね、)
祖母と叔父に自分を見つめなおす機会を与えてもらったのかもしれません。
最後に、仕事に追われ、余裕のないあなたへ
祖母と叔父の死から、1年少々で仕事を辞めました。
激務高給だった大手メーカーを辞め、薄給でも仕事が緩いSESで働いています。
SESを勧めたいわけではありません。基本的にSESへの転職は反対です。
でも激務で疲れて、すぐにでも逃げ出したい方にとって、一時的にでもSESへ身を置くことは間違いではないと思っています。
今あなたのやっている仕事は、あなたのすべてをかけてまで大切な仕事でしょうか?
少しでも疑問があるなら、一度立ち止まって考えてみることを勧めます。
あなたの人生について、本気で考えてくれる人はあなた以外にいないのです。
そんな問いかけでこの自己紹介を締めくくらせていただきたいと思います!(そうだこれ自己紹介記事だった!)
ありがとうございました!
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